基本的に祝休日は人が多いので野鳥撮りはお休み。でも今日は風も無くコミミズク狙いには絶好の日だったのになぁ、とちょっぴり残念な思い。そんな中、買い物がてらに地元(行田と言っても125号線の通る行田市の町)の歩道に立つ銅板?ブリキ作りのオブジェをモノクロ撮りで撮って来た。
我が行田の町は、古墳で有名な埼玉古墳群、昔から足袋の産業でも知られており、時代小説で映画化された「のぼうの城」、またテレビドラマの「陸王」でも知られる町。そしてB級グルメのゼリーフライやフライでもテレビや雑誌で度々紹介されています。
本日は歴史を少々盛り込んでのモノクロ画像のアップです。暇潰しにご覧下さい・・・。
この間行った川越で、名前の札に干支の梵字を入れて作ったストラップを付けた。
カメラにも握り易いグリップと、画像では見えないが親指を支え抜群のグリップの安定性が得られる器具を上部裏側に付けてある。
そして町へ・・・
商工会議所の一角にある、おもてなし観光局のショップ「ぶらっとぎょうだ」に寄り込む。
今流行の・・・何て言いましたっけ??花手水??・・・
そして次は・・・
天正18年(1590年)、今から432年前の夏、豊臣秀吉の命を受け、総大将石田三成をはじめ大谷吉継、長束正家率いる2万の軍勢がここ行田にある忍城を落とすためにやって来た。一方忍城成田方は2万の軍勢に対し500。2万の軍勢にたった500人で戦を挑んだ「のぼうの城」の舞台にもなった場所。そしてここ高源寺の交差点付近がまさに正木丹波守利英が豊臣方長束正家軍と激戦を繰り広げた地なのだ。
正木丹波守利英は成田長親総大将(のぼう様)率いる忍城成田方の筆頭家老。
交差点の角地には高源寺がある。正木丹波守利英はこの戦いの後武士の身分を捨て、戦で命を落とした者達敵味方を問わず供養するために高源寺を開基した。
正木丹波守の墓・・・。
この大木は高源寺から道を隔てた近隣にある佐間天神社の大ケヤキ・・・。
樹齢は優に400年を超える大ケヤキ。ひょっとすると戦があったのが432年前と言うことは、ひょっとしたらこの欅がまだか細い頃の事だったかも知れない。漆黒の魔人と称された正木丹波守利英の繰り広げる激戦を見ていたかも知れない。そんな事を考えるとロマンを感じる。
歴史話はこの辺で・・・それでは本題、歩道沿いの銅板ブリキのオブシェ。
童謡が聞こえて来そうな・・・。
もう何年も前にも撮った事があったが、モノクロで改めて撮るとまた趣もあり良いものだと思えた。野鳥撮りも良いが、こうした散策もたまには良いものだ。
さて、もう一日休んだら来週は天気を見て野鳥撮りに出掛けてみよう。本日はこれまで。
祖新 六四
(そにぃ むつし)