焼き物コレクション・・・果たして価値は???

 そうだ、野鳥記事のネタ切れの時は別の趣味の画像で・・・

 と言うことで古い物も好きな祖新六四のコレクションの中から、幾つかの焼き物をアップします。暇潰しにご覧下さい。

 

 ブツ撮り画像はα7RⅣ+FE24-70F2.8GMにて

 

 先ずは、江戸期彩色備前と言う事で手に入れた焼き物で、猫を抱いている眼鏡の老婆。以前ブログで彩色備前ではないと言うコメンントを頂戴した事があります。

 しかし自分は彩色備前には特に拘っておらず、この焼き物のリアルな造形そのものに惹かれ手に入れたものでした。時代の江戸期と言う部分にも?を持っていましたが、眼鏡そのものは1551年の天文20年だったかの戦国時代には日本に伝わっており、勿論江戸時代にも眼鏡は存在していました。が、それらはどうでも良く、この焼き物自体のクォリティ、繊細さを気に入ったのでした。

 ご覧下さい、焼き物と言えども老婆の髪の毛、浮き出た血管、焼き物でここまで表現されています。

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 あたかもそこに猫を抱いた老婆が座っているような・・・

 

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  この後ろ姿のや足の角度など・・・素晴らしいものです。

 

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 紺色の着物の柄もしっかり表現されています。

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 惜しいかな、購入し配送され商品を確認したら、足の部分に割れが・・・運送会社に連絡、購入金を保証しますに一安心したが、購入金額を受ければ商品は運送会社に行き廃棄処分と聞き、逆交渉。保証金は何割か引いても良いから、現物は手元に置きたいと交渉。それで双方話がまとまり手元に置けることとなったのでした。そして東京の金継ぎ直しの専門店を探し、その店に預け2ヶ月弱で金継ぎ直しが完了し我が家に戻った。

 直しに持って行った時には金継ぎ店のオーナーも、この人形を見て、これは良いですねと一言。自分の目には狂いはなかったとちょっと安心。金継ぎ跡は向かって左足に金継ぎの線が見えます。

 

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 そして何度か登場している、価値の知りたい菰山焼き初代土井市蔵(穆々斎)作の江戸末期弘化年間に焼かれた焼き物。

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 お宝何でも鑑定団に応募したが、連絡来ず・・・

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 以前、ブログ記事に同じ落款のある初代作を持っていると言う方が、コメントを下さった事がありました。

 初代作の現存数は、知り得るところ自分とその方の2つ。昔窯のあった現在の三重県菰野町の役所に問い合わせもしたこともあり、そちらにも初代作の焼き物は一点も無く、明治期に焼かれたもの数点がパラタミュージアム博物館及び町立図書館にそれぞれ2点しか確認出来ませんでした。もしこのブログを見て、初代作の物を持っている方がいたら是非お知らせ願いたいと思います。また、この価値をどう見るかの専門家の方のご意見も伺いたいと思っています。骨董は往々にして需要がある程値が付くと言いますが、需要が無くても現存数が極めて少なく、鑑定家さえ初代の作を見た事が無い、と言った物などの価値はどうなのか・・・それが一番知りたいのです。

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 ご覧の様に縁に金継ぎ直しがありますが、普通の茶器を金継ぎしてまで残しておく。と言う意味を考えれば・・・夢は膨らみます。まさか時の城主、土方山城守に献上された物だったりして・・・売主によると飛騨地方の旧家の蔵にあったものだそうで、菰山焼を扱ったのも初と言うことでした。

 

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 そして謎の逸品?は・・・↓の黄瀬戸焼きの輪花鉢。

これを見て新しい物だと思いますか?。現代に焼かれたような物でも数百年も前に焼かれたように見える物も焼き物にはあります。果たして・・・

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 この箱の裏書からの考えとして・・・ここには大東亜戦争時に防空壕へこの焼き物を避難させておいたら、湿気で箱の底がやられて仕方なく修理した旨の記録が書かれている。そして・・・箱書き最後の「加藤家愛蔵」に花押。瀬戸地方には有名な焼物師が多くいます。陶芸家であり陶磁史研究家でもあった加藤藤九郎は特に有名。また、加藤姓の焼き物師も多い。そこで祖新六四はこう考える。焼き物に精通している加藤家の大切にしているこの輪花鉢を、空襲による爆撃から守る為に防空壕に避難させた。そこまでする加藤家の愛蔵品のこの輪花鉢とは・・・桃山時代の・・・とも夢が広がる。俗に桃山時代に焼かれた正真の黄瀬戸焼きも、見れば現代に焼かれたかのように美しく見えると聞いた事もある。加藤姓の陶芸家の多い瀬戸地方の加藤家で大切にされていた黄瀬戸輪花鉢がこれだ、と言う事実をどう見るかだが・・・。

 

 

 そして↓の焼き物は・・・平安時代に焼かれた猿投げ山茶碗。

 これは本物に間違いは無いのだが、目立つ欠けも無く状態は良い。しかし価値となると売買は然程高い値でもない・・・

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 碗向こう内側にに見える緑色に見える部分だが、自然釉が数百年に掛けてガラス化している。これを見ても平安期の焼き物に間違いはないだろう・・・。

 

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 大樋焼の中でも最も優れた技量を持つと言われた、九代 大樋長左衛門作の寿老人。

足部裏側には落款あり。真贋は不明・・・

 

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 帝室技芸員(現、人間国宝)初代伊東陶山作の香合・・・残念ながら持ち手となる人物分部に修復跡が見える。(欠けてしまったのを繋いだ跡)共箱あり。

 

 

 

 オマケの骨董は木彫だが何と・・・日光東照宮の眠り猫で知られる、左甚五郎作の蛙の彫り物。

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 消えかかった墨の文字で、辛うじて左甚五郎作の文字が見て取れる。
 この蛙の彫り物は、50年程前に亡くなった祖新六四の祖父が今から90年近く前の若い頃に、忍十万石の城下町のとある旧家の蔵出しがあり、この蛙の彫り物と時代劇の殿様の横に置いてあるような、太鼓鉢(太鼓のような水槽で金魚などを入れて楽しむ物)を手に入れて来た時の物。実家から盗み取って(笑)コレクションにしてある・・・。

 もう一方の太鼓鉢は子供の頃、骨董商が我が家に来て日本刀と交換してくれと来たことがあった。月日が経ち亡くなった祖母が買い取りに来た骨董屋に2、3千円で売ってしまった。家族一同「なぁにぃ~!?やっちまったなぁ~」今なら数万円いや数十万はするのではないかと思えてならない。ひょっとしたら忍城の殿様の横にあったものかも・・・。そしてこの蛙の彫り物は・・・忍十万石の忍城を題材に出来たかの映画「のぼうの城」、あの映画でのぼう様が羽織っていた陣羽織と刀の鞘には蛙があしらわれていた。そして左甚五郎はこの忍十万石の宿場や中仙道を歩き日光など関東周辺を歩いたのだろう。と言う事はこの彫り物は忍城から出た物・・・夢はクライマックス!!・・・じゃんじゃん。

 

 妄想骨董ワールドに長々とお付き合い下さりありがとうございました。本日はこれまで。(大笑)

 

 

                 祖新 六四

               (そにぃ むつし)